もっと、
わがままに生きていい
「もっとわがままに生きていいのです」
「最高の生き方はわがままな生き方です」
セミナーなどで私はよくこうお話ししています。私自身も、究極の生き方は「わがままに生きる」ことだと思っており、そうした生き方をめざしています。
でも、こうお話しすると、たいていびっくりされてしまいます。
それも当然でしょう。私たちは、子どものころから、「わがままをいうんじゃありません」「わがままばっかりしちゃダメよ。人に迷惑がかかるでしょ」などといわれてきています。
「わがままはいけないこと」という考え方が頭にこびりついています。
でも、本当にそうでしょうか。
もっと、自分の思い通りに生きていい。自分がしたいようにふるまってもいいのではないでしょうか。
私が心から愛している美徳が一つだけある。
それは「わがまま」だ。
ヘルマン・ヘッセ(1877〜1962)小説家・詩人
1万円札の肖像でおなじみの福沢諭吉。彼は68年の人生を、江戸時代34年、明治34年と、ちょうど二つの時代を生きました。時代を先取りした思想家であり、慶應義塾大学をつくったことでも知られています。
福沢を師と仰ぐ松永安左エ門(1875〜1971年/電力王と呼ばれた伝説的な実業家)は「日本開闢(かいびゃく)以来、本当に偉人といえるのは聖徳太子、弘法大師、福沢諭吉の三人を数えるのみ」といっています。
私は、福沢がいまなお多くの人から尊敬されている理由の一つは、「自由に生きることが大切である」、と説いたことだと考えています。
福沢は西欧の考え方を日本に紹介する『西洋事情』のなかで、「リバティ(liberty)」という言葉を「自らをもって由となす」と訳しました。「自由」という言葉はこのとき、生まれたのです。
自由とは、他人に与えられたものではなく、「自らの意思や考えを行動の理由にする」、「自分の思い通りに行動する」こと。
つまり、「わがままにふるまうこと」なのです。
そうするためには、大事なことを自分の意思や判断で決め、その判断通り行動できることが基本。わがままに生きるためには、自分自身をしっかり持っていること。そして、ほかの人の自由を尊重することも大事です。
逆にいえば、相手のわがまま、自由な生き方を受け入れられるようになってはじめて、自分もわがままに生きられるのだ、といえるのです。
更新日:2015/2/27